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    助けてと言える勇気

    うつ病を発症して、すべてが止まってしまったあの頃のことを、今でも鮮明に思い出します。

    仕事が続けられなくなり、長期療養のために休職を余儀なくされました。ようやく仕事に行かなくてよくなったのに、家にいても何も手につかない日々が続きました。

    ご飯を作る気力もなく、子どもたちと普通に会話することもできず、体が鉛のように重くて動けませんでした。一日のほとんどをベッドの中で過ごし、ただ泣いているだけ。そんな毎日を送りながら、「このまま本当に回復するのだろうか」と、不安と絶望に苛まれていました。

    日本にいる両親に助けを求めたい気持ちはありました。でも、「迷惑をかけたくない」「遠いカナダまで来てもらうなんて申し訳ない」と、なかなか言い出せませんでした。苦しんでいる姿を見せたくないというプライドも、言葉を塞いでいました。

    そんな中、娘の誕生日が近づいてきました。娘のリクエストで、クラスメートや近所の友達を10人ほど招いて誕生日パーティーを開く予定でした。飾り付けや準備が必要なのに、体が重くて何も進まない。夫は私の状態を知っているはずなのに、手伝う様子は一切なく、私はただ焦りと無力感に押しつぶされそうになりました。

    そして、ある日、パニック発作が起きました。息が苦しくてゼーゼーと喘ぎ、うずくまって動けなくなりました。何度も意識が遠のきそうになりながら、「娘の誕生日パーティーをちゃんとやりたいのに」「喜ぶ顔が見たいのに」と、自分が何もできないことに嫌気がさしました。本当にどうしたらいいのかわからない。

    絶望の底で、ようやく母にメールを送りました。

    「ごめん、もう無理。助けて」

    急なメールに、きっと両親は驚いたと思います。それでも、すぐに予定をすべてキャンセルして、カナダまで飛んできてくれました。

    両親が駆けつけてくれた瞬間、私の心に小さな光が差しました。何もできない自分でも、少なくとも両親にとっては大切な存在なんだ。生きていることを、心から喜んでくれる人がいるんだと、実感できました。あの時、価値のない人間だと思い込んでいた自分が、少しだけ救われた気がしました。

    「助けて」と言うのは、本当に勇気がいります。私は、家族に弱いところを見せたくなくて、ずっと我慢していました。でも、あの時言葉にしていなかったら、もっと悪い結果になっていたかもしれない。両親をさらに悲しませることになったかもしれない。

    今、振り返ってみて思います。一人で抱え込まず、助けを求めることは、決して弱さじゃない。

    むしろ、自分を大切にするための強さなんだと。

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